大判例

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東京地方裁判所 昭和28年(ヨ)2942号 判決

申請人 アングロ・イラニアン石油株式会社

被申請人 出光興産株式会社

一、主  文

本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

二、事  実

一、申請人訴訟代理人は、「被申請人の別紙目録<省略>表示の物件に対する占有を解き、申請人の委任する執行吏に保管を命ずる。被申請人は右物件につき譲渡その他一切の処分行為をしてはならない。」との判決を求め、その申請の理由として次のとおり述べた。

「別紙目録表示の物件(以下本件石油と略称する)は、被申請人が昭和二十八年四月中旬頃申請外ナシヨナル・イラニアン石油会社からイラン国において買受け、被申請人所有の油槽船日章丸に積載して輸入し同目録記載の場所に保管しているものであるが、もともと同石油は次の理由により申請人の所有に属するものであり、右ナシヨナル・イラニアン石油会社においてその所有権を取得しえない以上被申請人もまたこれが所有権を取得するいわれなく、被申請人は右の経緯を知りながらこれを取得したのである。すなわち、本件石油は、一九三三年(昭和八年)四月二十九日ペルシヤ帝国政府(イラン国の旧称)とアングロ・ペルシア石油株式会社(申請人の旧商号)との間に締結された利権租借協約(以下協約と略称する)に基き、申請人が一九五一年(昭和二十六年)五月一日にイラン石油国有化法(以下国有化法と略称する)が施行される以前に採取精製したものであつて、右国有化法の施行によつても申請人はその所有権を喪失するものではない。仮に本件石油が国有化法施行以前に精製されたものでないとしても、南イランより積出されたこと、或はオクタン価の高いことなどから見れば、協約によつてイラン国より申請人に認められた利権享有地域から採取せられ、且つ申請人の工場において精製されたものなることが明かであるから、申請人の所有に属するものである。イラン国政府は右国有化法に基き、申請人のイラン国における前記協約による利権一切を一九五一年(昭和二十六年)五月一日をもつて国有化し、これを申請外ナシヨナル・イラニアン石油会社をして取得せしめたと称しているが、右国有化法は、何等の補償なく外国人たる申請人の前記権益を奪うものであり、これは「正当な補償なくして外国人の権益を侵すことはできない」という国際法の原則に反するから、無効であつて、同法による収用は申請人に対し効力を生じない。従つて右ナシヨナル・イラニアン石油会社もその権益を取得することができない。もつとも、右国有化法第二条にはイラン国政府が補償に充当するため一定金額を預託できる旨を定めているが、これは同政府に補償支払の義務を課したものではなく、単に任意に補償の支払をなすことあるべき旨を定めたに過ぎないから、同法に基く本件収用には正当な補償があるということができないのみでなく、同国政府はいまだに申請人に対し補償の支払をしていないのである(現に一九五三年(昭和二十八年)一月九日アデン裁判所は右と同一趣旨で申請人勝訴の判決をした)。更に右国有化法は前記一九三三年の協約第二十一条第三項の当事者は一方的に同協約を破棄しないとの規定に違反し、なおまた、右協約中には、当事者間の紛争に際しては国際司法裁判所長官の任命する仲裁機関の仲裁に応ずる義務を定めた条項があるにも拘らずイラン国政府はその仲裁を拒絶してこれに応じないので、この点においても右国有化法による収用は許されない。

仮に被申請人の本件石油に対する所有権がイラン国内においては認められるとしても、右国有化法が正当な補償を定めていないので、本件石油をわが国に輸送して申請人にその所有権なしと主張することは、日本国憲法第二十九条に反する外国法の適用を求めることになり、わが法例第三十条にいう公序良俗に反する結果を招来する。従つて、被申請人が日本の裁判所において国有化法の有効なることを前提とし、本件石油に対する所有権の取得を主張することは許されない。

本件仮処分の被保全権利は本件石油の所有権に基く引渡請求権であるが、その引渡請求訴訟の判決確定を待つては被申請人が本件石油を処分し執行不能に陥る虞があるので、本件申請に及んだ次第である。」

なお、被申請人の主張に対し次のとおり答弁した。

「被申請人の主張するように、石油国有化のため一九五一年(昭和二十六年)五月一日施行せられた法律のほか同年三月十五日及び同月二十日附の法律が存在すること、被申請人が本件石油の引渡を受けた時及び場所がその主張のとおりであることは認めるが、被申請人の主張するような売買契約の成立したことは知らない。その余の事実は否認する。」

二、被申請人訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、申請人の主張に対する答弁として次のとおり述べた。

「被申請人がナシヨナル・イラニアン石油会社からイラン国において本件石油を買受け、被申請人所有油槽船日章丸にて日本に輸送し申請人主張の場所に保管していること(但し被申請人は昭和二十八年四月十三日イラン国アバダン港において引渡を受けた)、申請人の主張するような利権賦与の協約がその主張する年に当時のペルシヤ帝国政府とアングロ・ペルシヤ石油株式会社との間に締結されたこと(但しこれは国際条約たる性質を有する協約ではなくして鉱業権を賦与する契約である)及び申請人主張のような石油国有化法が施行されたこと(但しその内容は申請人の提出した甲第二号証と若干相異する)は認めるが、その余の主張はすべて否認する。なお石油国有化のためには右国有化法のほか一九五一年(昭和二十六年)三月十五日及び同月二十日附の法律が存在している。」

被申請人は積極的主張として次のとおり述べた。

「イラン国は一九五一年三月及び五月の両法律によりイラン国内の石油事業一切を国有化する石油国有化法を制定実施し、その結果として申請人のイラン国内におけるすべての利権もイラン国に収用せられその国有となつた。これは没収ではなく損害を補償する収用であつて、国有化法においては申請人に対する補償に充てるため政府に充分なる財政支出の権限を与えた。すなわち、今後イラン政府の通常石油収入の二十五パーセント以内をミリ・イラン銀行その他の銀行に預託することを定め、現に同銀行に預託口座を開設している。

申請人はイラン国政府と補償問題について直接に交渉しようとせず、英国政府に交渉を依頼したので英国とイラン国との間の外交問題となつた。英国政府はイラン国を相手どり、石油国有化をめぐる紛争をヘーグの国際司法裁判所に提訴し、イラン国の措置は国際法に違反していると主張したが、国際司法裁判所は一九五二年(昭和二十七年)七月二十二日附の判決をもつて、「申請人が一九三三年(昭和八年)にペルシア帝国政府より受けた鉱業権の賦与は国際条約の性質を有するものではなく一国政府と一外国会社との間の利権賦与の私契約たる性質を有するものである。イラン国はこれ以外に英国との間に本件紛争に関し何等拘束を受けるような条約上の義務を負つていない。」という趣旨の理由で英国の申立を却下した。申請人は本件申請においても「協約」と呼んでいるが、これは決して国際条約たる性質を有するものではないので、イラン国の強行法である国有化法が右の鉱業権賦与の私契約に優先しその効力を排除するものである。

イラン国が産業国有化法を制定実施することは独立の国家として有する主権の行使であつて、英国においても産業国有化は盛に行われている。イラン国は申請人の事業及び財産の収用に対する補償の具体的方法について種々譲歩的な提案をしたが、英国及び申請人はこれを拒絶した。英国政府はイラン国の石油の海外への販売を封鎖しようとしたが、偶々本年一月イタリーのスボール会社の油槽船ミリエラ号はイラン国より原油を輸送し本年二月十四日ベニス港に到著したところ、申請人はベニス地方裁判所に対し右石油に対する仮処分命令を申請した。この事件に対する本年三月十一日言渡の判決は申請人の申立を却下している。

被申請人は本年二月十四日イラン国テヘランにおいてナシヨナル・イラニアン石油会社との間にイラン国アバダン港渡しの約定にて石油売買契約を締結し、被申請人所有油槽船により本年四月十三日アバダン港において本件石油の引渡を受け日本に輸送したものである。申請人は本件石油が申請人の所有に属すると主張しているが、石油国有化法実施前でも申請人が採油していた地域はイラン国の南部の一部であり、イラン国産出の石油のすべてが申請人の製品であつたのではない。本件石油は国有化法施行後採油されたものであるが、採油の場所は知らない。しかし石油国有化法によつて申請人のイラン国における利権の一切がイラン国有に帰し、又同国内におけるすべての石油事業がイラン国有となつたので、本件石油が申請人の所有に属する余地はない。ナシヨナル・イラニアン石油会社がイラン国の認許を得て採油精製並に販売しているのであるから、本件石油は同会社の所有であつたのである。本件石油が申請人自ら精製したものであるか、或は申請人の旧所有工場で精製したものであるか、或はまた申請人の鉱業権を有していた地域内で採取されたものであるかの点は、本件石油の所有権帰属に何等の影響を及ぼさない。被申請人はナシヨナル・イラニアン石油会社とイラン国アバダン港渡しの石油売買契約を締結し、既に同港において本件石油の引渡を受けたので、法例第十条第二項によりその所有権を取得している。

イラン国の石油国有化法は自主独立の国家が制定施行した法律であつて、イラン国外の裁判所はこの法律の有効無効につき判断することはできない。この法律はイラン国内における申請人の石油事業を没収するものではなく、補償を与えて収用する法律であるが、補償の問題と利権収用の効果乃至本件石油の所有権帰属の問題とは全く別個の問題であり、補償は利権収用の効果の生じた後に発生する問題である。まして、これは申請人とイラン国との問題にすぎない。本来一国の産業国有化法が内外人平等に施行されるときは、たとい無補償であつても格別の条約がない限り国際法違反とはならないのであつて、申請人の主張するような「正当な補償なくして外国人の権益を侵すことはできない」という国際法上の原則は存在しない。右の国際法違反の問題も日本の裁判所の判断できない事柄である。

申請人は本件石油に対する申請人の所有権はイラン国内においては認められるとしても日本においてその所有権を主張することは許されないというが、被申請人は法例第十条第二項によりイラン国において本件石油引渡と同時にその所有権を取得したものであり、本件においてはあたかもその取得の結果が問題となつているのであつてあらたに同法の適用を求めるものではないから法例第三十条にいわゆる公序良俗に反するや否やの問題は生じない。反対に自主独立の国家の法律が有効なりや否やを他国の裁判所が判断できないという原則に従うべきである。

以上何れの観点から検討しても申請人の本件石油に対する所有権は認め得ないのであり、従つて申請人の被保全権利は否定されるから、本件申請は却下せらるべきである。」

<立証省略>

三、理  由

本件仮処分の申請は本件石油につき申請人が所有権を有することを理由とするものであるから、まず申請人の所有権が存するや否やにつき判断する必要がある。

本件石油は被申請人が昭和二十八年イラン国に於て購入し同年四月十三日同国アバダン港においてこれが引渡を受け、その所有油槽船によつてわが国に輸送したものであること、右石油がイラン国内に於て採取精製されたものであること、並にこれよりさき一九三三年(昭和八年)ペルシヤ帝国(イラン国の旧称)政府が申請人(当時のアングロ・ペルシヤ石油株式会社)との間に、イラン国南部における石油の採取、精製、並に販売等に関する利権を賦与する協約(但しその性質については争があるが、しばらく協約の語を使用する)を締結したこと、しかるにイラン国に於て、イラン国に於ける石油事業を同国の国有に帰せしめ、即ち右協約に基く申請人の利権をも喪失せしめる旨の一九五一年(昭和二十六年)三月十五日及び同月三十日付並に同年五月一日施行のイラン国石油国有化法が成立施行せられたことは夫々当事者間に争いなく、もしくは被申請人の明らかに争わぬところである。

しかして本件石油は、これが石油国有化法施行前に採取精製されたものと認めるに足る疏明がないから、国有化法施行後採取精製されたものと一応認定するの外はない。しかるに成立に争のない甲第一号証より認められる諸般の状況から考えて、イラン国アバダン港より積出される石油はすべて申請人が右協約によつて利権を賦与されていた地域内より採取せられ、申請人の所有であつた工場で精製された石油に属するものと一応認められるから、これらの石油、従つてまた本件石油も、右国有化法が施行されず、もしくは国有化法が無効であるとすれば、右協約により申請人の所有に属すべきものと認めなければならない。よつて本件石油が申請人の所有に属するや否やは右国有化法が有効なりや否や、又日本の裁判所がこの点を判断し得るや否やにかかることとなる。以下この点について考察しよう。

まず、一九三三年(昭和八年)ペルシヤ帝国政府とアングロ・ペルシヤ石油株式会社との間に成立した前記利権の賦与に関する協約の性質について考えて見るに、成立に争のない甲第一号証中のT・M一号の協約書本文を参照して考えると、この協約の当事者の一方は一国の政府ではなくして、英国に本店を有する一外国会社であつたことの公知なアングロ・ペルシヤ石油株式会社であるから、この協約を以て国際条約又はこれと同一性質を有する国際間の協定ということはできず、むしろ一国政府と一外国会社との間に締結された石油採掘権に関する私契約と認むべきであり、従つて申請人が右協約によつて利権を行使していた土地はいわゆる租借地ではなく、またこれが租借権を有していたものでもなくて、申請人は単にイラン国南部地域における石油採掘権という鉱業権並にこれに附随した精油販売等に関する私法上の利権を有していたにすぎないものと認められる。右の見解は成立に争のない乙第三号証の一九五二年(昭和二十七年)七月二十二日国際司法裁判所判決の多数意見とも同趣旨である。

右の如く申請人の前記協約によつて取得した権益が、イラン国内に於て許容された一私権にすぎずとすれば、右権益が同国の国内法による規制の対象となることは免れがたいところであり、イラン国の国内法たる前記国有化法については、以下記述する理由により当裁判所に於てその効力を否定するを得ず、これを有効と認めざるを得ないものであるから、イラン国と申請人間の右利権賦与協約は右国有化法の施行と共に失効し、右協約に基く申請人の利権は消滅したものと認むべく、従つて国有化法施行後イラン国内に於て採取された石油は、従つて本件石油も、たとえそれが、もと申請人の利権を有した地域より採取され、もしくは申請人の旧所有工場に於て精製されたものとしても、これが申請人の所有に属することはあり得ないものである。

しかして、当裁判所が国有化法を有効と認める理由は次のとおりである。

(一)、まず申請人は、右国有化法が補償なくして外国人の権益を没収する没収法であり、かかる没収法は国際法上無効であつて、之を有効とすることは他国の裁判所に於てもなし得ないところである旨主張しているので、この点を考察するに、元来、一国がその国内に於ける外国人の権益を補償をなさずして没収する行為は国際法違反の不法行為を構成するとなす国際法上の原則が存することは否定し得ないところというべく、その結果被没収者たる外国人もしくはその権益を擁護する権利を有する所属本国が、当該没収行為に出でた相手国に対し、その不法行為責任を追及し求償権を行使するにいたることは容易に理解し得るところであるが、第三国たる他国の裁判所がかかる他国の行為に無効の判定をなし、その効力を否定することが許容されるや否やは又これと別個の問題に属し、しかもこれを肯定する確定普遍の国際法上の原則が存在するとすることはこれを断定するに躊躇せざるを得ない。むしろ当裁判所としては、わが国の法領域に於て現にかかる行為の実現を求められる場合、もしくはこれが有効性を認めることがわが国内の秩序を現実に侵害する場合でない限り、独立主権国家相互間の主権の尊重、友好維持の必要より生ずる国際礼譲の要求するところに従い、一国がその国の利益に合するものとして制定した当該法令の効力乃至その国内に於てすでに発生した当該法令実施の効果の如きはこれを否定し得ないものと考える。右国有化法が(いわゆる没収法なりや否やはともかくとして)イラン国の定める立法の方式に従つて制定された法律であることは申請人の敢えて争わぬところであるから、同法はイラン国において有効な法令と認むべきところ、証人ジヤラール・アブドーの証言により真正な成立の認められる乙第十一号証(イラン国モサデグ首相のステートメント)、同第十二号証(一九五二年十二月二十二日国際連合総会決議録)によれば、右国有化法は国際連合総会の加盟諸国に対する各国資源の開発に関する勧告の趣旨にも副い、イラン国が同国の利益に合するものとの見地より制定したものと一応認められ、しかも本件はすでに同法をイラン国内において施行した効果に関するものにすぎず、これが効力を認めることがわが国内の秩序を現実に侵害するものとも考えられないこと、後にも触れるとおりであるから、さきに述べた見地よりして当裁判所は右国有化法の効力を否定するを許されぬものである。申請人の提出した疏明資料中に存する諸判例は本件とその事案並に訴訟関係の点に於て必ずしも同一でないから、本件の判断に対する直接の先例となすに適当でなく、援用の諸説中右判断に反するものは採用し難いところである。

申請人は右国有化法は協約第二十一条第三項に違反した立法であるから無効であると主張し、甲第一号証(協約書)によれば、右条項に於て、イラン国は一方的に右協約を破棄し申請人の利権を収用することはできない旨規定されていることが明らかであるが、前記の如く右協約が実質上私契約である以上、イラン国においてこれが破棄による契約違反、乃至不法行為上の責任を負うに至ることのあるのは格別申請人の有した国内法上の私権をイラン国に於てその国内法たる本件国有化法により収用することは可能にしてその効力はこれがため妨げられることはないものと解せざるを得ない。又申請人は、被申請人は右協約に定めた仲裁に応ずべき義務を遵守しないから、右国有化法に収用の効果を認むべきでないと主張するがかかる事実も亦、右同様国有化法の効力に影響を及ぼすことはないものといわなければならない。

(二)、さらに進んで右国有化法が補償なき没収法なりや否やについても当裁判所は必ずしも申請人と所見を同一にしない。

即ち外国人の権益の収用のための正当なる補償が即時になさるべきことは疑なく合理的な原則と認められる。

しかしながら、成立に争のない甲第二号証及び証人ジヤラール、アブドーの証言によつて真正な成立の認められる乙第一号証の二によれば、イラン国議会は一国の厳しゆくな立法の形式たる法律の方式を以て制定せられた一九五一年(昭和二十六年)五月一日施行の国有化法第二条において、イラン国政府に申請人の財産収用の補償金に充てるために、ミリ・イラン銀行その他の銀行に通常石油収入の二十五パーセント以内を採掘費差引の上預入れる権限を与えていること、同法第三条において、イラン国政府は混合委員会の監督の下に申請人の請求権をも調査し、イラン国議会の承認を得て補償を支払うべきことを定めて、申請人が補償を求め得ることを明規していることが窺われ、又前掲乙第十一号証及び証人ジヤラール・アブドーの証言により真正な成立の認められる乙第二十号証によるとイラン国政府は右法律第三条に基く補償金預託口座をミリ・イラン銀行に開設済の事実及び、イラン国政府は正当な補償をなすべき義務を確認しその交渉に応ずる意思を有する旨表明していることが認められる。なるほど、国有化法は補償の額、方法及び支払の時期を直接明規していないし、現実に補償が支払われた事実を認むべき疏明もないから、前記原則を厳格に適用すれば本件には正当にして即時の補償なしとの結論とならざるを得ないが、本件国有化の場合の如く、収用される権益の規模、内容が複雑尨大にして、その正当なる補償の金額の確定に著しき困難が予想され、即時の履行が困難なると共に、その履行の場合においても、それが正当なる金額なりや否やに紛議の生ずることの予想される特殊の場合においては、これが即時の補償を支払うことを必須の要件とすることは一面妥当を欠くきらいを免がれずこれが終局的履行は結局申請人とイラン国政府、英国政府とイラン国政府、又は国際司法裁判所その他当事者の合意をもつて定める機関における外交交渉による解決にまつべきものとし、補償の有無の問題としては叙上の如き確定的支払意思の表明並びにこれに伴う補償金預託口座開設の如き具体的準備のそなわれる事実によつて、いわゆる収用のための補償あるものとみなすのが妥当と考えられる。申請人提出の疏明資料によれば、英国政府とイラン国政府との間における右国有化に関する接衝がなお停滞せる状況にあることは認め得るけれども、この事実のため、前記補償の規定が空文に帰したものとは認め難く、右補償の規定が任意的であるか否かの如きは、ひつきよう、規定の形式の問題にすぎず、叙上の意味で補償の有無の核心的問題とは認められない。又、申請人の提出した甲第二十号証、すなわち、ナシヨナル・イラニアン石油会社の定款第五十六条の規定は、イラン国政府の補償金預託の権限を制限する趣旨とは解せられず、これらの事実は必ずしも前記判断を左右するものとは考えられない。これを要するに申請人の利権の収用については、前記の意味において、補償が存するものと判定するのが妥当であるから、前記国有化法が補償なき没収法にして、無効なりとの申請人の主張は採用するを得ない。

(三)、申請人はわが国の裁判所が石油国有化法適用の効果を是認することは、国有化法が正当な補償を定めていない事実よりして、財産権の不可侵を定めた日本国憲法第二十九条に反する外国法の適用を認めることとなり、法例第三十条にいう公序良俗に反することになるから、これが是認は許されないと主張するが、前記の如く右国有化法が補償なき没収法なりとの主張は認められないのみならず、日本国憲法第二十九条はわが国内における法秩序として財産権不可侵の原則を定めたものであつて、しかも正当な補償の下に公共のために収用することを許しており、まして他国において適法に制定実施された法令により既に他国内で発生した法律上の効果、すなわち本件においては国有化法に基く申請人の利権喪失の効果を容認することを禁ずるものとは考えられない。しかのみならず、元来法例第三十条は、被申請人とその売主との間の売買契約の如き国際私法上の法規の衝突を生ずる法律関係に関する規定であつて本件における申請人の利権喪失の事実の如く、その前提問題たる場合、すなわち、当該係争事実前他国においてすでに発生した法律効果に関する規定ではない。従つてこの点に関する申請人の主張は理由がない。

以上の次第であるから、申請人は石油国有化法により、イラン国における石油採取権その他前記利権協約による一切の利権を喪失し、本件石油につき所有権を取得することはできなかつたものと認めなければならない。申請人は右利権協約に関する主張以外に本件石油の所有者たることを認めしめる事由の主張をなさず、又これが疏明もないのであるから、申請人の本件石油に対する所有権はこれを肯認することを得ず、従つて、爾余の点を判断するまでもなく本件申請は失当であり、却下すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 北村良一 荒木秀一 宮脇幸彦)

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